History of Kutani ware and its background - Impressions of the work vary greatly depending on the style - Japanese Kutani Store

九谷焼の歴史とその背景 - 作風によって作品の印象は大きく異なる

九谷焼とは何か、その歴史や背景を知りたいと思ったことはありませんか?

九谷焼は、現在の石川県加賀市で生まれた焼き物です。古九谷から始まり、春日山窯、吉田屋窯、飯田屋窯など、各地に窯が開かれました。日本を代表する伝統工芸品の一つである九谷焼は、今もなお多くのファンを魅了し続けています。

この記事では、九谷焼の特徴や歴史、代表的な作風について解説しています。また、制作工程もご紹介していますので、ぜひ最後までお読みください。

 

1.「九谷焼」とは?その特徴と魅力

九谷焼(くたにやき)は、石川県加賀市、金沢市、小松市、能美市で生産される陶磁器です。九谷焼は、陶石の産地である九谷村(現在の加賀市山中温泉九谷町)に窯が築かれたことから「九谷焼」と呼ばれるようになりました。

九谷焼の最大の魅力は、上絵付けによる鮮やかな色彩にあります。その卓越した絵付けの美しさは、「絵付けなくして九谷は存在しない」と言われるほどです。

上絵付けとは、焼成後の陶器に絵具を塗り、さらに焼成する技法です。800℃という低温で焼成することで、絵具が器にしっかりと定着し、より多様な絵具を使用できるという利点があります。

九谷焼のもう一つの特徴は、五彩(赤、緑、黄、紫、紺青)を用いたり、赤を基調としたりと、窯ごとに作風が異なることです。現在でも、九谷焼の伝統を守りながらも、多くの新しいデザインが生み出されています。

ちなみに、九谷焼には陶器と磁器の両方があります。陶器は見た目がぽってりとしていて、指で叩くと鈍い音がします。一方、磁器は表面が滑らかで、指で叩くと金属的な音がします。

見分け方は、器の底にある高台を確認してください。土の色が見えれば陶器です。

 

2. 九谷焼の歴史

九谷焼の歴史は江戸時代初期に遡ります。

 

九谷焼は江戸時代初期に誕生した

九谷焼は江戸時代初期の1655年に誕生したと言われています。

きっかけは、大聖寺藩領であった九谷村(現在の石川県加賀市九谷町山中温泉)の鉱山開発中に良質の陶石が発見されたことでした。大聖寺藩初代藩主前田利治は、藩士の後藤才次郎に肥前有田へ陶芸の技術を習得させるよう命じました。

帰国後、後藤は九谷に窯を開きましたが、約50年後、突如として閉窯しました。その理由は未だに解明されていませんが、いくつかの説が提唱されています。

この時代に作られた九谷焼は「古九谷」と呼ばれ、現在でも高く評価されています。

 

約100年後に「復興九谷」として復元

閉窯後も九谷焼の技法はひっそりと受け継がれ、約100年後、加賀藩で九谷焼復興の動きが起こりました。

加賀藩は京都から青木木米を招き、金沢に春日山窯を開窯させました。これを契機に大聖寺藩にも吉田屋窯が開かれました。その中心人物となったのは、大聖寺藩出身の豪商で、当時の富裕層や文化人から高い評価を得ていた豊田伝右衛門でした。

窯の名は豊田氏の屋号(吉田屋)に由来する。

しかし、採算を度外視した品質追求が経営を圧迫し、開窯からわずか7年で閉窯。その後、吉田屋窯の現場監督であった宮本屋右衛門が窯を引き継ぎ、宮本屋窯として再開しました。

他にも永楽窯や正蔵窯など各地に窯が開かれました。

この時代に生まれた九谷焼は「再興九谷」と呼ばれています。

 

明治時代以降、輸出業が盛んになった

明治時代になると、明治政府の産業復興政策により、輸出産業が隆盛を極めました。これは、江戸幕府から明治政府への権力移譲により、窯元が諸藩からの支援を受けられなくなったためです。

その結果、大聖寺藩の職人たちはさらにその技を磨き、多くの者が独立した職人や作家へと成長しました。著名な陶芸家としては、初代須田光華、竹内吟舟・浅井一毛兄弟などが挙げられます。

一方、九谷正三を筆頭とする加賀藩の職人たちは、アメリカやヨーロッパ市場に向けて多くの作品を制作しました。九谷正三が生み出した「彩色金襴手(さいしょくきんらんで)」と呼ばれる技法は、「正三流」として高い評価を得ました。

九谷焼は海外でも高い評価を受け、1873年のウィーン万国博覧会に「ジャパン・クタニ」として出品され、その名声を世界中に広めました。

 

現在では多種多様な九谷焼が生産されている

昭和後期以降、九谷焼は工芸品の枠を超え、美術工芸品として制作されるようになり、宮内庁の献上品や英国チャールズ皇太子の御成婚祝いにも贈られました。

九谷焼は、作家やライフスタイルに応じて、多種多様なデザインで作られるようになりました。現代の作家の先駆者となったのは、北出藤次郎・藤雄父子です。彼らは中東のエキゾチックなデザインや彫刻装飾を取り入れました。

優美な九谷焼を生み出した三代目徳田八十吉と吉田美典は人間国宝に認定されています。

 

 

3. 九谷焼の代表的な作風

九谷焼の代表的な様式をいくつかご紹介します。

穀谷

「九谷五彩」と呼ばれる赤・緑・黄・紫・紺青の5色と、「青絵」と呼ばれる緑・黄・紫・紺青の4色を用いています。

ダイナミックな構成と力強い絵が特徴。

 

もくべい

全面に赤色で五色の中国風の人物が描かれています。

 

吉田屋

緑、黄、紫、紺の 4 色を使用します。

器全体に隙間なく文様や細かな模様が施され、重厚な雰囲気を醸し出しています。

 

宮本屋、飯田屋

赤を基調とした作風で、人物や模様がとても丁寧に描かれています。

所々に施された金彩が上品で美しい印象を与えます。

 

永楽

全面を赤く塗り、その上に金泥で繊細な模様が描かれています。

インパクトが強いですね。

 

しょうざ

古九谷、吉田屋、赤絵、金襴手の技法が使われています。

和洋折衷のスタイルは明治時代以降主流となりました。

 

4. 九谷焼の製造工程

九谷焼の制作工程は以下の通りです。上絵付けは、焼成時に釉薬を定着させることで、鮮やかで透明感のある色彩を生み出します。

釉薬は高温で焼成するとガラス質に変化し、器を覆う膜のような役割を果たす液体です。釉掛けは、釉薬を均一に塗布する必要があるため、職人の技が極めて重要な工程です。

  1. セラミック石を採掘し、細かく砕く
  2. 水とセラミックストーンを混ぜて「ろ過」し、不純物を取り除く
  3. 適切な硬さになったら一定時間放置する
  4. 空気を抜くためにこねる
  5. 成形(粘土を回転させて形を作る「ロクロ法」、または紐状に伸ばした粘土を重ねる「手びねり法」)
  6. 太陽の下で完全に乾燥させる
  7. 約800~900℃で約8時間焼きます
  8. 下絵付けと釉薬の均一な塗布
  9. 約1300度の高温で約15時間焼成
  10. 上絵付け

上絵付け窯で約800℃で4~10時間ほど焼成します。

 

5. 九谷焼は人気キャラクターともコラボしている

九谷焼は、普段使いの器からアート作品として飾りたくなるような器まで、幅広い製品が揃っています。中には人気キャラクターとのコラボレーション商品もあり、ピーナッツのスヌーピー、ドラえもん、ムーミンなど、根強い人気を誇るキャラクターが九谷焼とコラボレーションしています。

九谷焼に興味はあるけれど、いきなり高級なお皿を買うのは不安…という方は、まずは可愛いキャラクターデザインの九谷焼から選んでみてはいかがでしょうか。贈り物やお土産にもおすすめです。

 

6. まとめ

九谷焼は江戸時代初期に誕生したとされる陶磁器です。一度は廃窯となりましたが、その後再興され、現在では世界中で愛される伝統工芸品となっています。

ご興味があれば、石川県加賀市を訪れてみてはいかがでしょうか。九谷焼の製造工程を見学したり、絵付け体験をしたりできる場所がいくつかあります。

 

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